べっぴんぢごく

ぼっけえ、きょうてえで、覗いてはいけないけど、覗きたい、覗いたら最期、どこまでも堕ちていく異形の官能世界を描いた岩井志麻子。
その岩井志麻子の「べっぴんぢごく」を読んだ。

差別する側と差別される側の境界線。
それは蔑まれるものに強烈に惹かれてしまうが故に、引かざるを得なかった線。
ホラー作家として分類されている岩井志麻子が描こうとしているのは、この境界線ではないのだろうか。
そこには中上健次の影響が色濃い。

今回読んだ「べっぴんぢごく」では、明治から平成、6代に渡り美女と醜女が交互に生まれる女系家族の罪と罰、人間の業を描いた暗黒物語。
どの場面にも必ず描かれているのが「境界線」としてある「乞食(ほいと)隠れ」と呼ばれる、岡山北部の家の玄関に備えられた板。
乞食はこの板に隠れて物を乞う。

乞食の娘として物乞いの旅の途中で母を亡くし、とあるきっかけで村の分限者の養女として暮らし始める主人公「シヲ」。
シヲが見つめ続けるのは、施す者と施される者を隔てる「乞食隠れ」。
かつて自分はその向こう側の人間であった。

噂によって展開していくストーリー、禁忌を犯した罪、代々に渡る罰、差別/被差別の逆転、境界線。
そのどれもモチーフが中上健次の小説群であると読み取れる。
●噂によって物語が補完されるのは中上健次の伝家の宝刀。
●「岬」「枯木灘」で重要なキーになっている近親相姦。
●「奇跡」では早死にの血統、ナカモトの血を引くタイチが7代に渡る罰を背負って死ぬ。
●「岬」「枯木灘」「地の果て至上の時」の所謂紀州サーガの中心人物である秋幸のその実父、浜村龍造は、被差別者としての過去を消し、1代にして成り上がり、「蝿の糞の王」と呼ばれ、差別する側になる。
●中上健次の作品で常に境界線として描かれていたのは、町と被差別部落を分け、町の真ん中に横たわる臥龍山。

中上健次の場合、境界線であった臥龍山は実父浜村龍造によって取り去られた。
それによって中上健次の文学は解体を余儀なくされ、未完の遺作「異族」まで苦悩の日々が続く。
岩井志麻子はまだこの境界線を残したままだ。
この先彼女はどこへ向かうのだろうか。
「べっぴんぢごく」は、読み進む毎に中上健次へのオマージュの色を増す。
「日本人でよかった」と思える読了感。
益々重厚な作品を書いて欲しい。
次は天皇について描くんじゃないかな、という予感。


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